《徐霞客游記·永昌志略》
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漢永昌郡,元為大理金齒等處宣撫司,總管置司治于永昌,后改為宣慰使司都元帥府。洪武十五年平云南,前永昌萬戶阿鳳率其眾詣指揮王貞降附,仍置永昌府,立金齒衛(wèi)。
十六年六月,麓川彝叛,屠屠殺其城。二十三年,省府,改金齒衛(wèi)為金齒軍民指揮使司。
從指揮使胡淵請也。
于是遂名金齒,不名永昌,而實(shí)非金齒之地,如瀾滄江在永昌,而瀾滄衛(wèi)在北勝,各不相蒙。蓋國初立衛(wèi),經(jīng)理皆出武臣,故多名實(shí)悖戾bèilì違背耳。
景泰中設(shè)鎮(zhèn)守,弘治二年設(shè)金騰道。
嘉靖元年巡撫何孟春、郴州籍,江陰人。
巡按御史陳察常熟人。
疏革鎮(zhèn)守,設(shè)永昌府,立保山縣,改金齒指揮使司為永昌衛(wèi)府,領(lǐng)州一騰越縣二,保山、永平。仍統(tǒng)潞江安撫司、鳳溪、施甸二長官司。
保山編戶十里。又城北彝民曰“喧”,共十五;城南彝民曰“寨”,共二十八。
洪武三十三年,改騰沖守御千戶所隸金齒司。正統(tǒng)十四年,升為騰沖軍民指揮使司,與金齒并。嘉靖二年,復(fù)置州,隸永昌府,改指揮使司為騰沖衛(wèi),州名騰越。
在府城南三百六十里,以地多藤,元名藤州。
永平,即東漢之博南縣。
以山名。洪武初隸永昌府。
三十二年,改府為金齒指揮司,屬指揮司管轄。
嘉靖二年,復(fù)府,仍屬府。在府東一百七十里。
潞江安撫司,在城西南一百三十里。
元柔遠(yuǎn)路,國初柔遠(yuǎn)府,永樂九年立安撫司。
鳳溪長官司,在城東二十五里。施甸長官司,在城南一百里。唐銀生府北境,元為石甸,后訛為施甸。
『徐霞客游記章節(jié)目錄』
徐霞客游記 永昌志略譯文
漢代的永昌郡,元代是大理金齒等處宣撫司,總管在永昌設(shè)置了宣撫司治所,后來改為宣慰使司都元帥府。洪武十五年(1382)平定云南,前朝的永昌萬戶阿鳳率領(lǐng)他的人馬到指揮王貞處投降歸附,仍…詳情
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